成瀬街道の国指定史跡「高ヶ坂石器時代遺跡」史跡公園として一部開園の続きです。
高ヶ坂2丁目の町田市立芹ヶ谷公園グラウンドそばで整備が進められていた
「高ヶ坂石器時代遺跡(八幡平遺跡)」が遺跡公園としての整備を終え、
2021年4月1日(木)から一般開放となりました。
→地図を表示(東京都町田市高ヶ坂2-2 [旧住所:高ヶ坂1645-6])
大正15年に日本で初めて発見された敷石住居跡
高ヶ坂石器時代遺跡は、牢場・稲荷山・八幡平の3地点からなる縄文時代の集落跡で、
今からおよそ90年近く前の1925年(大正14年)の調査時に牢場遺跡付近において発見され、
1926年(大正15年)2月24日に日本初の敷石住居跡発見第1号として国史跡に指定されました。
<写真>八幡平遺跡から横浜方面を眺望した様子。高台を生かした立地が特長。
その内の一つである「八幡平遺跡」は東側を恩田川、西側を今の芹ヶ谷公園となっている谷に挟まれた
標高86mほどの台地上に立地していることから見晴らしも良く、遺跡から横浜方面を眺望することができます。
市内唯一の国指定史跡を「遺跡公園」として整備
<写真>360度カメラで撮影した八幡平遺跡の全景
八幡平遺跡では数年前から市による遺跡公園化の整備が始まり、2019年度には四阿(あずまや)が完成し、
2020年3月に園路の一部が完成したのに伴って先行見学会を2020年3月14日(土)に開催予定でしたが、
新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止となり、これまで一般公開は行われてきませんでした。
2020年度には八幡平遺跡で第5期工事(フェンス・舗装工事、植栽等の整備)が進められていましたが、
2021年2月に工事終了し、遺跡公園としての整備がほぼ完了したことから、一般開放されることになりました。
<写真>八幡平遺跡の敷石住居跡と現地の説明看板
遺跡からは縄文時代中期末の敷石住居跡が発見されており、現在は埋め戻して保存されており、
実物の遺構を見ることはできませんが、遺構の様子が埋め戻した場所の上に再現されています。
<写真>八幡平遺跡の立入禁止区域。この斜面には将来的に園路と出入口が整備される。
なお、横浜方面を眺望できる斜面とその斜面にある建設途中の園路は整備が完了していないため、
現在もこの斜面は立ち入り禁止となっており、将来的には住宅地側を結ぶ園路を整備する予定で、
工事は2022年度以降に実施を計画しています。
成瀬街道の三叉路では、遺跡PRを目的に交差点名設置も検討
<写真>2018年に整備完了となった牢場遺跡・稲荷山遺跡。八幡平遺跡から少し離れている。
一方、八幡平遺跡から少し離れた場所にある成瀬街道沿いの牢場遺跡・稲荷山遺跡では、
先行して遺跡公園整備が進められ、2017年4月に一部開園、2018年度に全整備完了となりましたが、
市では遺跡の認知度向上を目的に、遺跡そばにある成瀬街道の三叉路(Y字路)に遺跡の名前を記した
交差点名を設置したい考え(現在は無名)で、道路管理者の東京都や所轄警察署と協議を進めています。
【牢場・稲荷山遺跡】→地図を表示(東京都町田市高ヶ坂2-43 [旧住所:高ヶ坂1416])
【成瀬街道三叉路】→地図を表示(東京都町田市原町田2丁目)
<写真>交差点名の設置が検討されている成瀬街道の三叉路
ちなみにこの三叉路から三塚交差点に至る「町田市道 南558号線(通称:三塚道路)」は、
かつて幅員4mの一方通行道路(三塚→成瀬街道)でしたが、その後幅員9.5mに拡幅され、
1979年(昭和54年)6月26日から相互通行ができるようになり、今年で42年が経とうとしています。
この三塚という地名は、明治時代に存在した高ヶ坂村・原町田村・金森村の三村の境界点を示す
「境塚」があったことから「さづか」と呼ばれるようになったことが由来(まちびと特別号より一部引用)で、
住居表示が実施された現在においても、この遺跡前の三叉路付近に町界が引かれています。
町田は東京都の中でも上位を争う
縄文時代遺跡がたくさんある所なんですよね。
住宅等になっている所も多いですが。